こんにちは、遊佐です。
SNSや街中で見かけるファッションについて、似たような格好をしている人をよく見かけませんか?服装だけでなく髪型までも瓜二つ。
よく量産型と言われたりもします。
その現状を見てなのか、「最近のファッションはつまらない」という意見があるようです。
そこで今回のブログでは、本当につまらないのか否かについて考察していきたいと思います。
- 皆んな同じ格好をしていてつまらない
- 置きにいった格好をしていてつまらない
- 最近のメンズファッションはお洒落?それともダサい?
【なんかおかしい】最近のファッションはつまらない?
ファッション熱
「最近は同じような格好をしている人が多くて、面白くない」と言っている人は、皆が同じ格好をしていない時代を知っているということになりますが、それが具体的にいつ頃なのは分かりません。
ですが、個人的に思う「そういう時代」は振り返ると確かにありました。
2,000年代から2,010年代中盤にかけてファッション雑誌が元気だった頃です。
僕自身もファッションに本格的にはまっていった頃で、振り返ると感慨深いものがあります。
ファッション雑誌も最初の頃は洋服の紹介コーナーがメインで、カタログみたいになっている内容が全く面白くなかったのですが、徐々にファッションスナップというコンテンツにページを割くようになり、気がつけば全雑誌が注力する大人気コンテンツに成長していました。
読者と一緒に盛り上げていこうぜみたいな感じがよかったのでしょうね。
こうなると読者は我こそはと誌面に載りたくなるもので、気合を入れてスナップ場所に集まります。誌面デビューを目指して渾身のコーディネートで臨むわけですが、審査員(記者?)にアピールしたい意識がよほど強いのか、面白いほど皆んなのコーディネートが多種多様なんですよね。どうにかして人より目立ってやるみたいな。
そして面白いのはスナップ写真を見た人が「よし自分も私生活で実践してみよう」と参考にするのではなく、「今度は俺も誌面に出てやろう」と便乗しようとするところ。
当時の雑誌を見返すと面白いんですよね。
俺を見てくれと言わんばかりのスナップが大半です。
その中には超絶お洒落な人もいれば、正直微妙なスナップもあったり、中にはコスプレ一歩手前や、チンドン屋みたいなイタい格好のスナップもあります。
でも共通していたのは、別段共感は求めず、とにかく俺を見ろという個性。
思い思いの格好をしている姿には確かに魅力を感じました。
正直参考にならないことが多いのだけれど見ている分には面白く、読んでいる人の間では、「これって微妙じゃない?」とか、「めっちゃドヤ顔やん」とか、「これめちゃお洒落」などの意見が飛び交い盛り上がるんですよね。
当時はネットが普及してはいたもののsnsはmixi、twitterぐらいだったので、街のリアルファッションに関する情報は雑誌で取得するのが精一杯。でもこれがある意味良かった。
ウケ重視
さて今はどうだろうか。
雑誌の勢いは落ち、誌面のファッションスナップはSNS、特にインスタへと舞台を変えた。
誌面に載らずともインスタで自分の姿を披露できる時代になったんです。
で肝心の中身はというと・・・似たような格好をしている人が多い。
昔はあれだけ各々が思い思いの格好をしていたのに。
なぜ?
この理由は簡単で、SNSが発達して「こうすればお洒落になれる」「これが今のお洒落」という基準、枠組みが出来てしまったから。そしてすぐに情報を取得できるようになったから。
インフルエンサーたちが発する「お洒落の基準」なるものがSNS上で拡散され、それを一般層がさらに拡大させることで、その基準が浸透していく。そしてそれを前提にしたコーデを組む人が増えることになり、結果同じような格好をする人モデル「量産型」が増える。
ポイントは、お洒落をしたい、すなわち周りの人と差異化をしたいという気持ちは今も変わっていないということ。ただその差異化させたい箇所が着こなしではなく、コンテンツ作りにあるということです。なぜコンテンツ作りに重きを置くかというと、フォロワーの獲得が第一優先になっているから。
そうするとウケのよさを重視し、お洒落だと認識されている枠組みにて発信したほうがいいということになる。
こうなると、昔のような目立ってやるぜというような滾るパワーが感じられくなり、見る人によってはつまらなく映ってしまうことになる。
一旦まとめると、面白くない原因は同じ格好をする人が増えたから。ウケの良さを重視したファッションをしているから。かつてあった前のめりになる力、熱さが感じられないから。
これらの原因となっているのはsnsで共有される「お洒落の基準」ですが、さらに突き詰めていくとロジック解説に行き着きます。
ロジック解説の功罪
頭でっかち
近年はファッションをロジックで解説する人が少なくありません。
ロジック解説の良さは、解釈が曖昧になりがちなファッションを言葉と法則で明確に伝えられること。
なぜこのコーデがお洒落なのか?なぜこのアイテムとあのアイテムが合うのか?なぜダサく見えるのか?という疑問を言葉や数字を使って解説することで聞き手が納得することが出来、同じように再現することが出来るようになるんですね。
これまでファッションは感性の世界だという認識があまりにも強かったため、センスのある人しかお洒落できないんだと思われてしまっていました。
しかしロジックの切り口が生まれたことで「再現性のあるファッション」という概念が生まれ、ファッションひいてはその基礎とも言える身だしなみのレベルが格段に底上げされたと思います。
人生には仕事や家事などファッションよりも大事なことがいくらでもあり、お洒落に割く時間なんてない人は大勢います。というよりもそんなことに時間を使うくらいなら他にやりたいことがあるんですよね。ファッションが好きな僕でさえ、ファッションなんてその程度のものだと思っています。
そんな限られた時間の中で、体系化したファッションロジックは本当に役立っていると思います。ファッションのイロハがわからない人でもロジック通りにやればパパッとお洒落できちゃうんですからね。時間の有効活用。コスパ良過ぎます。
しかし弊害が生まれつつあり、それが頭でっかち問題。
ロジックを先行させ過ぎて、面白味の根源である感性や情熱の部分が後回しになっているということです。
「これ着たい」、「こういう格好をしてみたい」というような直観的なものではなく、「なぜならば〜」が行動指針になっている。
いわば画像や映像ではなくテキストを重視する傾向にあり、ひどい場合はレトリックに酔い過ぎて、もはや本当にお洒落かどうかも怪しくなってることも。
ロジカルに表現しなくていい
ロジックの切り口でファッションを見ることは大切なのですが、論理的に考えることと、論理的に表現することは全く別の話です。
つまり「なぜならば〜」といった堅苦しいことはあくまでも頭の中だけにして、人の目に映るもの、つまりコーディネートには感性や情熱をしっかりと纏わすべきということです。
先ほども話しましたようにロジックには再現性が伴うので皆が同じように出来るというメリットがあるのですが、これは見方を変えるとコピーが生まれているということになります。
ロジカルに表現することによって同じ見た目の個体が増殖することになるのだから、表題にあるように「つまらないファッション」と言われてしうまうのは仕方がないことなんですね。
逆に昔のようにロジックがなくても「熱」があると面白いと言われる。決してお洒落ではないのになんか惹きつけられてしまう。
洋服に限らず、カメラでもなんでもそう。
カメラに慣れていくとお決まりの構図にとらわれるようになり、凡庸で面白味のない写真が出来上がる。それよりも素人が何気なく撮った写真の方が良いなんてこともある。
もちろん面白いからいいわけではない。つまらなくてもちゃんとした着こなしが出来ていれば何の問題もない。ただし今のファッションに閉塞感を感じているのであれば、論理的に考え情熱的(楽しく)に表現してみてはどうだろうか。
まとめ
- 最近のファッションは昔に比べてつまらないという意見は概ね当たっていると思う
- ロジックが先行し過ぎると頭でっかちなコーディネートになる
- 感性や情熱をもっと大事にすべき
- 論理的思考と論理的表現をごちゃまぜにしてはいけない
ファッションを作品と捉えるかツールと捉えるかでも話が変わってくる。つまり目的か手段かということ。ツールと捉えている人にとっては「つまらない」という概念は取るに足らないもので、気にする必要は全くない。