こんにちは。遊佐です。
皆さんはご機嫌にお買い物をし終わって家に帰った後に、こんな風に後悔したことはありませんか?
「なんでこんなもん買ってしまったんだ!?」
今回はなぜ買い物に失敗するのかという話をしていきます。
ここでいう失敗の定義とは「買ったことを後悔している」ということです。
そして失敗の原因はすべからく思考停止にあります。
この思考停止になっているパターンを、買い物王として過去数々の失敗を繰り返した僕の経験を交えながら4つに分類していきます。
失敗する買い物に巣食う「思考停止」
承認元が他人になっている
そもそも何の為に商品を買うのか。
基本的には商品そのものよりも、その商品を買って得られる付加価値を求めて買ってますよね。
この付加価値に密接に関わってくるのが、人間の本能 of 本能である「承認欲求」です。
承認欲求と聞くとネガティブに捉えられかねませんが、大事なのは承認欲求の承認元が誰なのかということです。
端的に言えば、商品を良いと判断したのが自分自身だったら問題ないんです。
自分で決めているんだから当たり前じゃんという話ですが、この「良い」と判断した理由が他人の価値観に依拠していたらヤバイです。
他人の価値観に依拠するとは「他人が見てイケてるかどうか」「流行かどうか」など、他者からの承認欲求を重視すること。
自分で購買を決めたとはいえ、その理由が自分自身の価値観に依拠していない為、ある時に「なんでこれ買ったんだろ」と思うんです。
一方、承認欲求の承認元が自分自身である人は、人からの評価なんて気にしていないので、自分が本当にいいと思ったものを買うことが出来ます。
これは後述する「スタイル」とも関わっていて、意識することで買い物の失敗がなくなります。
一目惚れは危険サイン
「これ一目惚れだったんだよな~」と言う時ありませんか?
僕もよく言っていました。
まるで一目惚れが、購買するにあたってポジティブかつ正統な理由だと言わんばかりの認識です。
でもよくよく考えると、一目惚れと購買行動に因果関係は果たして存在するのでしょうか。
一目惚れをポジティブなものだと決めつけることが危険な要因を2つ示します。
後からの意味付け
まず一つ目は、自分に都合の良いようにストーリーを作っているだけということ。
購入する際に「一目惚れである」と無意識に意味付けをして自分自身が購入に拍車をかけているんです。
確かに気に入っていることは間違いないんですけど、だからこそ買わなければいけないという理由を探しています。
つまり「一目惚れしたから買う」のではなく、「買いたいから一目惚れという既成事実を作る」ということです。
そして購入した後も「一目惚れだったから」と言っている場合はさらに危険です。
こういう時は当の本人もほんの少し判断誤ったかも?と思っていることが多いのですが、そんなことは絶対にないと強引に肯定しようとしています。
これは認知的不協和に近い状態で、購入を間違ったことではないと自分に言い聞かせている状態です。
意思が行動を生むのではく、行動が意思を生み出すとはよく言ったもんですよね。
飽きる
もう一つは飽きです。
一目惚れだと言っている時は、過去の経験や憧れの感情が混ざってときめいた状態になっています。
これは今までの僕の経験ですが、「一目惚れだ」と言って買った服は2、3回着て終わりです。
手に入れた時は確かに最大級に嬉しいんですけど、いずれ飽きるんですよね。
本当にその商品に憧れていたのか?と自分に問いたくなるぐらいに熱量が圧倒的に下がっていきます。
商品自体に向き合うことなく、なにか目に見えない空虚なものに自分が囚われてしまっているような感覚です。
僕はこの「一目惚れ」が不確かな感情で移ろうモノだと感じてから、ポジティブなイメージを完全に取り払いました。
20代の時は一目惚れ買いが多かったのですが、思考を変えてから無駄な買い物が本当に減りました。
繰り返しますが一目惚れはめぐり逢いではなく妄想に近いものだと個人的に思っています。
バイアスが強烈にかかっている状態なので、十分注意したいところです。
調子に乗っている
仕事がうまくいった時や誰かに褒められた時、そんなことが連続で続いた時、脳内では快楽ホルモン「ドーパミン」が分泌されて気持ちが昂っています。
ポジティブな状態なのでとっても素晴らしいのですが、その状態でお店へ入っては絶対にいけません。
ポジティブな時は同時に気持ちが大きくなっているので、その商品が本当に必要か否かの判断レベルが著しく低下し、高額な買いものをしてしまいがちです。
厳密にいえばこれ自体は問題ではなく、家に帰った後に後悔していることが大問題なんです。
何故後悔しているかというと、本来自分が購入できる金額範囲を超えてしまっているからなんですよね。
なのでドーパミン効果がおさまってデフォルト状態に戻った時に、ものすごい後悔の念に駆られます。
こういう事態に陥る前に、気持ちが昂っている状態を「今オレは調子に乗っている」と自覚することが大切です。
調子に乗っているのはポジティブなので良いことだと認めつつ、適切な判断が出来なくなっている状態であることも認識して、家に閉じこもって下さい。
スタイルを持っていない
これは昔の自分へ特に言いたい。
自分のファッションスタイルを持っていないと、いつまでたっても買い物に失敗します。
先述した承認元の話にも関わってきますが、買い物の際は商品1つとっても人によって価値観や解釈がバラバラなので、何故それが自分にとって買うべきものなのかの根拠を自分自身へ示す必要があります。
その根拠の参照元になるのが「スタイル」です。
例えば「あなたはどんなファッションスタイルを持っているの?」と聞かれた時に、明確に答えられなければ、それは「スタイル」とは呼びにくいです。
相手にとって分かりやすいかどうかはどうでもよくて、あくまで自分自身が自分のことを把握出来ているかどうかが大事です。
以前の僕は「スタイル」を持っていなかったので、この点で大散財をしてきました。
例えば3万円のシャツを買った時に、何故それが3万円もするのかとか、そもそも何故そのシャツを買ったのかを明確に答えることが出来ませんでした。
あるジーパンを買った時もそうでした。商品単体としては魅力的なデザイン性を持っていましたが、自分が持っているアイテムとの関連性、親和性が全くないんですよね。
なので出来上がるコーディネートになんらテーマ性や統一感がないんです。
一事が万事この調子だったので、いつまでたっても自分の「スタイル」を持つことが出来ませんでした。
ではどうすれば自分の「スタイル」を作れるのか。
それは師匠を見つけること。
僕も30歳になる前に、着こなしの素敵な方と偶然会うことがあり、ここから変わっていきます。
その人の着こなしには統一された独自の世界観があり、まさに「スタイル」が存在していました。
シンプルで派手さはないのですか、こだわりの価値観で作られた極めて自然なコーディネートが物凄くカッコいい人でした。
ファッションだけでなく、その人の考え方にも通じるいわば普遍的なスタイルですね。
でも気を付けて欲しいことがあります。
それは「師匠の猿マネは表面的なところの模倣に過ぎない」ということです。
要するに服に着られている状態ですね。
スタイルはあくまでも全体を要約させた基本形です。
基本形を理解していない、つまり本質を理解していないと、応用が全くきかないんです。
師匠のスタイルを取り込むには、まずはその本質を掴み、必ず自分流にアレンジを加えて自分へと落とし込まなければいけません。
自己アレンジを加えた師匠の「スタイル」はやがて、自分のオリジナルスタイルへと昇華していきます。
少し話が逸れましたけど、失敗しない商品選びには「スタイル」の構築が必要だということを話してきました。
スタイルは商品選びの指針、コンパスのようなものです。
まとめ
- 承認欲求の承認元を確認せよ
- 一目惚れは危険
- 調子に乗っていることに気付く
- 自分のスタイルを持つ
今後自粛ライフが明けた時、お買い物には十分気を付けて下さい。
溜まったストレスで思考停止状態に陥っている可能性があるので、無駄な買い物をして後悔をしないようにしましょう。
今回書いてきたことは内的な思考停止要因ですが、外的要因にも十分気を付けて下さいね。
世の中、人の心理に沿って作られた巧妙な思考停止トラップだらけですから。