こんにちは、遊佐です。
普段漠然と捉えている「記憶力」や「集中力」について書いています。
どうすれば集中できるのだろう?、そもそも記憶ってなんの為にするの?という根本的なところに言及した内容です。
原始の頃のプログラム
種の保存
人が、そして自分がなんのために生きているのかと考えたことが一度はあると思います。
個人としての幸せの在り方は千差万別ですが、人間という種としての幸せならば一つしかありません。
それは種の保存。
人間を繁栄させ次の世代へ遺伝子を受け継がせていくこと。
そしてこの種の保存の為に、ある重要なプログラムが人間の脳内に埋め込まれています。
このプログラムには自分たちの意思や目的といったものは存在せず、ただそういうプログラムが自動的に働いているのみ。
どのようにしてこういうプログラムが作られたのかは分かりませんが、このプログラムがなければ人類はとっくの昔に滅んでいましたし、これからもそのプログラムは働き続けます。
時代は変わり、人間の知能も大幅にアップしてきましたが、僕たちの脳に植え付けられているプログラムは原始の頃と何も変わっていないんです
プログラムとは
原始の頃に生きる者たちは常に命の危険に晒されていました。
- 食料を調達する為には毎日狩りに行かないといけない
- いつどこで猛獣に出くわすか分からない
このような危機的状況を打開するために仕込まれたものがプログラム。
- 毎日狩りをしていると、だんだんスムーズに獲物を仕留められるようになる
- 猛獣と出くわした時に、戦闘か逃走のどちらかを瞬時に選択することが出来る
そしてこれらの行動の指令を出しているのは言うまでもなく脳です。
毎日の狩猟行為は生きる上で重要なものだと脳は判断し、獲物を仕留める技の動きを記憶させようとします。
猛獣との遭遇は、種が消滅しかねない一大事。状況打開するために集中力を上げる作用として、脳は心拍数と血圧を一時的に上昇させます。
つまり、「種の保存にとって重要な局面である」と脳が判断する時に、記憶力や集中力にアプローチ出来るプログラムが脳自身の中に存在しているんです。
プログラムの活用
プログラムの内容は、「いま重要な局面にあると脳が判断すると、記憶力や集中力が上がる」ということでした。
原始の頃でいう重要な局面とは、毎日の狩猟や猛獣との遭遇。
では猛獣に出くわしたり狩猟に行くことなんてない現代ではどうでしょうか。
そんな事態には通常陥ることはありませんが、同質の事態はいくらでも存在します。
つまり脳に、今が重要な局面ですよと判断させることが出来たなら、現代においても記憶力や集中力のアップといった同じ効果を享受出来るということです。
種の保存の為に備わっているプログラムとはいえ記憶力や集中力が向上するのであれば、このプログラムをお勉強に活用しない手はありません。
先ほどこういうことを書きました。
- 毎日の狩猟行為は生きる上で重要なものだと脳は判断し、獲物を仕留める技の動きを記憶させようとします。
- 猛獣との遭遇は、種が消滅しかねない一大事。状況打開するために集中力を上げる作用として、脳は心拍数と血圧を一時的に上昇させます。
これらを現代に合わせて言い換えます。
- 毎日の狩猟は反復練習だ。→反復練習は記憶力をアップさせる
- 猛獣との遭遇はストレスだ。→ストレス反応は集中力を上げる
※厳密にいえば、猛獣との遭遇に対するストレスの感じ方は、猛獣に慣れている原始の人と現代の僕達では比べようもないでしょう。なので相対的に、原始を生きていた者達にとっての猛獣を、現代の所謂「日々のストレス対象事象」としました。
勉強やスポーツで必要とされる反復練習をすると、脳はそれが重要な局面だと判断し、記憶力を上昇させるのです。なぜなら毎日同じことをやるということは、生きるために必要なことなんだなと脳が認識するからです。
プレゼンや予期せぬ事態の時、緊張して心拍数や血圧が上がります。それは身体に負荷がかかっている状態のストレス反応です。でもそういう時の集中力は高いものです。なぜなら脳は、この時を命が脅かされている危機的状況だと認識するからです。戦うか逃げるかに備えて集中力が高まっていくのです。
このように重要な局面であることだと脳に錯覚させると、プログラムの効果を享受出来ます。
なんのために記憶する?
現代では記憶という言葉は思い出という言葉に代わり、過去を振り返るために使われます。
過去を振り返り懐かしむという、時間を行き来する行為は大脳が発達した人間だけに許されたもの。
しかし種の保存プログラムの観点でいうと、記憶は過去ではなく未来の為に存在していると言えます。
先ほど記憶力は人が生き抜くため、種の保存の為に必要なものだという話をしました。
記憶を積み重ねて学習とし、ワザを上達させていく。
ワザの上達は自分が生き抜いていく為、ひいては種の保存の為の手段。
懐かしむとか思い出に浸るという概念は一切ありません。
つまり記憶というものは学習という目的以外には本来必要ないんです。
原始の頃に生きていた者達が生き抜いていくためには沢山の知恵や経験が必要でした。
その為には学習を重ね続け、必要に迫られた選択に備えなければいけなかったのです。
まとめ
僕達の脳は原始の頃となにも変わっていません。
変わったのはまわりの環境だけ。
脳にとっては今も原始の頃にいて、大陸を駆けて狩猟し、猛獣に出くわしているのです。