皆さんこんにちは。遊佐です。
先日20代の子と話していたときに、家でなにしてる?と聞いたら、
「自粛で家にいる時間を自己研鑽に充ててます」と、さらっと答えてくれました。
これだけまとまった時間がとれるのだから、自己投資出来るチャンスですよね。
その子はとにかく読書三昧だとか。
えらいな~。
読書といえば、「言語化」や「紙に書きだす」ことの重要性を説いた本をよく目にします。
特に人気なのは大人はもちろん若い子達も虜になっている「メモの魔力」でしょうか。
と言いながら僕はまだ「メモの魔力」を読んだことはないのですが、多くの著者が伝えたいことは概ね同じです。
つまり「言語化」や「紙に書きだす」ということは、思考力、創造力を鍛えるということ。
それらを分解すると以下のような基礎力のアップに繋がっています。
- コミュニケーション力
- 自己認識力
- 要約力
家族間や友達同士だと、こういったスキルがなくても特に問題ありません。
ですがビジネスでは誤解を生んだり、うまいこと話せなかったりするなどして致命的です。
またビジネスでもプライベートでも、対人関係の問題では性格が原因だと思われがちですが、一番の問題は単に思考が整理されていないということ。
こんな風に自分を分析したことありませんか?
- 言いたいことをうまく言えないから内向的になる
- 誤解を招く発言をするから嫌われる
- 要点を掴めていない話し方をするから疎まれる
- 自分のことが分かっていないから、どこが悪いのかが分からない
僕も人のことは言えませんが、これらは全部トレーニングでよくなります。
そもそも生まれつきだから仕方ないなどと、性格の問題にしてしまう理由が全くなく、そう思うことがなんとも勿体ない。
だから「思いを、考えを紙に書き出せ」ということなんですが、著者達が言ってくれていることは義務教育を受けてきた人なら既に学んでいるはずなんですよ。
紙に書き出せとは言われなかったでしょうが、本質部分はとっくの昔に学んでいます。
国語という科目で
でも国語って苦手じゃなかったですか?それ以前につまらなくなかったです?
僕は超苦手でして、いつもテストで足を引っ張る科目でした。
特に長文読解です。
論説文とかはまだマシでしたが、「物語文」だけは本当に鬼門でした。
でもある時を境にテストの点数が劇的にアップしたんですよ。
だいぶ前置きがかなり長くなりましたが、ここからが本題です。
嫌いだった国語教師が教えてくれたこと
嫌いな先生がやってきた
僕が高校1年生の時に、ある国語教師が転任してきました。(以降この教師をT先生とします)
僕は最初このT先生が超嫌いでした。
T先生はこんな人。
- 愛想がない
- 笑わない
- 人の意見を秒で遮る
とはいえ先ほどお話ししたように、国語、とりわけ物語文の成績が一向に改善される兆しがなかったのでT先生に相談し、困っているポイントを伝えました。
ついでに、「授業で先生が言ってることって、ボクよく分かんないんですよね」と軽く嫌味を添えて。←僕の国語の点数の悪さと、何の因果関係もナイ。
すると
「誰も君の気持ちなど聞いてないですからね」
と冷静にお返事が返ってきました。
にくたらしいでしょ?(笑)
「今ナントオッシャイマシタ??」と聞き返したいレベルです。
ちなみにこのメッセージには二重の意味が込められていました。(たぶん・・・)
1つは僕が放った嫌味に対して。
そしてもう1つの意味こそ、質問へのアドバイスでした。
事実の取得
僕は苛立ちを抑えつつ、T先生に話を続けてもらいました。(怒りで軽くパニック状態でしたが)
T先生が言ったことは以下のようなものでした。
- ストーリーに入り込むんじゃない
- まだマシな点数をとれる論説文を解く時と何も変わらない
例えばテストの設問に「登場人物Aは、どんな性格の持ち主なのでしょうか?」とあるとします。
すると僕はいつも、Aに感情移入してしまって、Aはきっとこういう性格だろ!と勝手に決めつけていたんですよね。
本当は、Aの考え方に関する話が本文に書かれているので、文脈を理解さえしていれば100%正解できる設問なんです。
さらに問題だったのは、僕がAの性格を紐づける内容を見つけていても、そこからAの性格を導き出せていなかったことでした。
導き出すとは簡単にいうと、Aはプラス方向の性格なのか、マイナス方向の性格なのかの判別です。
この判別が出来ないが為に、いつも不正解を選びまくっていました。
そんな困った問題を、T先生のアドバイスがシンプルに解決してくれます。
- 「誰もお前の感情なんか聞いていない」
- 「論説文と同じ解き方でいい」
この二つのアドバイスをまとめると、「自分の主観を捨て去り、とにかく客観的に問題と向き合え」ということになります。
必要なのは徹底的な事実取得のみ。
僕が物語文で点数を取れなった原因は、文脈を理解しようとせず、勝手に物語に入り込んだせいで、登場人物の感情を読み取ることが出来ていなかったことでした。
国語には数学と同様に、AだからB、CだからDという完全な論理がある世界だと知って以降、僕の物語文の点数は一気に伸びていきます。
前後の文脈を把握してはじめて、登場人物の感情を理解出来る。
これはやがて「国語の授業」という枠組みを超えて、実際のコミュニケーションの土台である感情の理解、すなわち相手の気持ちを理解する力を養います。
対人関係で害悪なのは論理の無い安易な「決めつけ」ですもんね。
他に国語のテストでは、要点把握のチェックをされる設問もあり、必然的に要約力が求められます。
また、「その、この、あの」という指示語が何を受けているかという設問も、文脈理解が必要とされますね。
学ぶ意味
以上のように、冒頭でお話ししたコミュニケーション力や要約力は、国語で培うことが出来るはずでした。
でも実際はそうではない。
その理由はやはり当時の目的意識に尽きると思います。
科目全般に言えることですが、「国語」をなんの為にやるのかということです。
でも残念ながらそれを教えてくれる、納得させてくれる先生はいませんでした。
授業では、常に教壇側から一方通行で情報を伝達され続けるので、「何のために学ぶ」とかの話にすらならないですよね。
だからいつしか「国語って面白くないよね」というラベリングをしてしまいます。
僕もそうでした。
でもT先生がムカつく言い方で教えてくれたことは、少なくとも僕の中の「国語って面白くないよね観」を根底から覆してくれたんですよ。
ちなみに最初の頃、T先生が感情なしロボットみたいな性格だったのは、着任し立てで緊張していたからだそうです(!?)
だから僕含め、生徒達とおちゃらけた話が出来なかったとの後日談あり。
本当は純度100%のエンターテイナーで、文化祭ではキレキレのモーニング娘を披露し、いつの間にか人気者になっていました。
僕もこの件以降はT先生とのわだかまりが解けて、T先生への認識を信頼できる先生へと改めます。
でも今思えば、国語教師のわりにコミュニケーション下手か。
まとめ
僕の個人的エピソードはさておき、「言語化」の力は本当に大切です。
ただそれよりも言語化の基礎「国語」をもっと学校教育の中で重要視したほうがいいんじゃないかなと思います。
現代社会を生きる際に対人関係の構築は避けては通れないはずなのに、それに必要なスキルを養う国語が外国語勢力に押されるばかり。
英語やプログラミングが小学校で導入されていくにつれ、どんどん国語がおざなりになっていきそうです。
でも国語で培われるコミュニケーション力や要約力があってこそ、英語やプログラミングの習得に繫がると思うのです。
冒頭でもお話ししたように、言語化は思考力を鍛えます。
- 「なんのためにやっているのか」
- 「ゴールはどこなのか」
- 「達成するには何が必要か」
これらを日々続けていくと、あらゆる分野で大切な構造思考が頭にクセづきます。
まずは子供たちに国語を学ぶ意味を伝え、「国語って面白くないよね」観を拡大させないようにして欲しいですね。
僕はとりあえず遅ればせながら「メモの魔力」読んでみようと思います。(おそいやつ)