こんにちは、遊佐です。
皆さんは特定の誰か、又は大勢の人に対して以下のようなことを働きがけた時に、いつもスムーズに事を運べていますか?
本人がやりたくないことをやってもらう
結構難しいお願いごとですよね。
個人レベルから国レベルまで規模は違えど、至る所に転がっているお願いごとです。
このお願いごとをするにあたって考えるアプローチのコンセプトを、今回はイソップ童話「北風と太陽」を題材にして書いてみました。
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北風か太陽か
北風と太陽
ほとんどの方は幼少期に読んだことがあるのでしょうが、Z世代の方はもしかしたら知らないんじゃないかと思ったので簡単に話を振り返っておきます。
北風と太陽が、ある勝負をします。
お題「歩いている旅人の服をどちらが先に脱がせられるか」
先行:北風
風を吹いて旅人の服を脱がそうとするが、旅人は寒くて余計に服を抑え込んでしまい脱ぎませんでした(旅人の意思関係なく外部から力を加えた)
後攻:太陽
いつものように照っていた結果、汗だくになった旅人はたまらず服を脱いでしまいました(旅人の意思で脱がせようとした)
太陽の勝利!
ちなみにこのストーリーは、「人はよく北風になりがちだが、太陽のように振舞うと事態が好転するかもしれませんよ?」というような解釈で話されることが多いです。
強引に指示するのではなくて、相手が自分の意思で能動的に動くように働きがけなさいと。
ただこの「意思」というものですが、これほど信用できないものはないと思いませんか?
太陽の力をきちんと理解する
様々な種類の「意思」がある中で、「やりたくないこと」を「やる」にスイッチさせるための意志力は信用できない最たるものだと思います。
意思を能動的に発揮できるとしたら、いつも努力100%でみんな秀才以上になれます。
でも実際は全くもってそうじゃないですよね。
ここはやはり太陽がやっていることをきちんと理解しておく必要があります。
太陽がしたことを改めて見ていきますね。
「太陽が照り付けたため、旅人は暑くなって脱いだ」
この「暑くなって脱いだ」という行動をもう少し紐解くと「暑くて脱がざるをえなくなった」となります。
「よし!脱ごう」
ではなく、
「あち~脱がないとやってられねえ!」
といった感じですね。
旅人は脱ごうとしたんじゃなくて、脱がざるをえなかったんです。
この違い分かりますか?
旅人は最初は機嫌よく歩いていたんです。
まさか自分が数分後に、路上で脱衣ショーをおっぱじめるなんて夢にも思っていません。
それなのに北風と太陽が変なバトルを始めたせいで、脱ぎたくもないのに脱がざるをえなくなったんです。
つまり、やらざるをえない状況を作り出すことが太陽の力というわけです。
もし太陽の行動を「人の意思を尊重して、内発的な力に期待する」という風にのみ解釈していたとしたら、かなり偏った見方になっているのではないかな~と思います。
鋼の意思を持った人が果たしてどれだけいるでしょうか?
そんな不安定な要素に期待するよりも、やらざるを得ない状況を作るほうが確実ではないでしょうか。
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北風も必要
ここまでの話の流れだと「皆、太陽になろうぜ~」という風に終わりそうですが、そうはなりません。
北風が効果的な時だってもちろんあるからです。
実は北風と太陽の話で、一点だけ気になっていることがあるんです。
それは、北風が旅人の服を脱がせられなかった本当の理由です。
北風の力が弱かっただけじゃないん?
もっと強力な風を吹かせることが出来たなら、先行の北風が勝利していたかもしれません。
北風のレベルとは?
脱いでください
↓
脱げ(イソップ)
↓
脱がないと逮捕しますよ(勝利する為に必要だったレベル)
要は本当に脱がせたいなら、中途半端にやらずに思いっきりやれ!ということです。
ただ単に脱げと言われて脱ぐ人なんて誰もいないですよ。(ドMの人はどうか知りませんが)
カリスマ性のある人やコワい人でもない限り、北風は例えば法律を適用させるというような手段をとる必要があったのかもしれません。
そんなことやってほしくはないけど、強力無比な力にはなります。
まとめ
さていかがでしたでしょうか。
それでは最後にまとめます。
北風と太陽の話を題材に、「本人がやりたくないことをやってもらう」に対する心構えについてお話ししてきました。
- 適宜状況を観察し、北風になるか太陽になるかのどちらかを選択することが肝要
- 太陽の力とは「やらざるをえない状況を作り出す」こと
- 北風の効果がないと判断する前に、より強力な北風になることを考える
それでは最後まで読んで頂きましてありがとうございます。