こんにちは、遊佐です。
今回は「コスパの良い服」に向き合ってみます。
神コスパ、コスパ最高などというふれこみのもと紹介される服、そしてコンテンツがやまほどありますが、そもそもコスパがいいとはどういうことなのか、何故コスパが良い服を求めるのか。
当たり前のことをわざわざ考えているように思えるかもしれませんが、ありふれた言葉を特に考えずにただの文字列のごとく使っているということが往々にしてありますので、今回の記事がコスパ服について今一度考えてみる時間にしてもらえたら幸いです。
- コスパが良いとは?
- コスパ服を求めるのは何故か?
- コスパがいい服とは?
【損得か魅力か】コスパのいい服はお値打ちであっても魅力はない

コスパについて
コスパは文字通り費用対効果の指標。この指標が高いと生産性と同じく、最小限のインプットで最大限のアウトプットを出すことができます。
例えば良い原料を使って美味しいものを作る、お金をかけて売上を上げる。人数をかけて売上を上げる、というのは当たり前の話であって、それではコスパがいい、生産性が高いとは言えない。500万円使って1,000万円の売り上げを作る人と、100万円を使って1,000万円作るひとでは後者の人の方が優秀ですよね。
限られた資源をどうにかしてやりくりして、その資源でよくそんなにも結果を出せたねというものこそ価値がある。大きな単位で見るとコスパはGDPと比例し、国が富むために絶対に必要な要素なわけです。
昨今よくあるのが、コスパを口癖にする人たちとその人たちに対してコスパ厨と揶揄する風潮。大前提コスパ思考は良く、その理由は先ほど話した通りです。
ですがやはりよくないコスパ思考もあって、それは視野が狭い状態でのコスパ思考。
例えば痛い目でみられがちな入社1年目新人コスパ君。まだ何も知らない状態なのにそれはコスパ悪いっす。メリットありますか?といいがちな新人君いますよね。コスパはメリットがあるかどうか、つまり損か得かを判断する指標でもあるので、それに基づいてコスパが悪いと判断するのですが、入社したばかりで右も左も分からない君にコスパが良いかなんて分からないでしょ?ということです。仮に彼の言う通りコスパが悪かったとしてもそれはあくまで短期的な話であって、長期的にはコスパが良いなんてことがざらなわけです。それを知らずしてコスパを訴えても、周りからは「そうじゃないんだけどなと‥」と期待と評価が下がっていく。
視野が狭いコスパ思考の人はとにかく無駄を嫌い、費やす時間の損切りが早い傾向にあります。一見無駄(実はそうではない)も思慮なく高速で無駄箱行きになる。
コスパは何をインプットしたらどういうアウトプットが出るかという図式が分かっている場合に成り立つというか意味がある概念ということです。
損得か魅力で選ぶ服
話を服に戻すと、この服がコスパがいいかどうかなんて最初から分かることなんて少ないんです。それでも買うのは「魅力」があるから。この服を買うことが自分にとって損か得かを判断する指標がコスパですが、損得を超えて購入に踏み切れる概念が魅力です。そして損得で判断する人は当然その先にある魅力ひいてはそれがもたらす感動体験を得ることが出来ません。
この魅力という言葉は簡単に使われ過ぎているかなと思います。というのも、既に一定の評価を得ているものに対して魅力があると形容する人がいますが、本来魅力的とは一般的には良いとは言われていないが、何か分からないけど惹かれるときに使うものです。例えばこの人は学歴やスキルはいまいちだけど、話していてなにか惹かれるものを感じたときに、なんだかよくわからんが魅力があるといいます。
一方ユニクロのように情報がたくさんあるものはコスパがいいことが既に分かっているので、損得の判断ができる。たとえ自分が経験していなかったとしても情報の確度が高ければ問題ない。
そしてここで求めるのは感動ではなく、あくまでも損得。魅力みたいなあやふやなものを頼りにして買い物を失敗したくありません。それに自分が必要とするレベル以上のものを求めないので、そのための費用は最小限に抑えたいんです。
いわば、ノーコスパ服とは魅力重視で感動の上振れリスクを大きくしたい。コスパ服は損得重視で、失敗の下振れリスクをいかに最小化させるかがモットー。コスパ服は正にさっきの新人コスパ君と同じで、無駄と損を省くための服です。
ただ仕事と服では話が違います。要はどこに重きを置くかというだけの話で、服に魅力を求めないからこそコスパを重視し、他に魅力を感じる領域にノーコスパを据えている人も当然います。
たまにコスパ服なんて面白くない、そんな選び方をしているなんて損してるという見方がありますが、それは服好きのフィールドでのポジショントークであり的を外しまくっています。服好きの人でも、この箇所、例えばインナーには感動を求めていないが、ジャケットには感動を求めたいという、損得と魅力を使い分けるということをしているわけですし。
損得で選ぶか、魅力で選ぶか、あるいは両方か。服の選び方は価値観に基づくもので、それ自体に良い悪いの優劣は一切ありません。自分に合ったスタイルを構築することが肝要です。
注意点があるとすれば、間違ったコスパ服の解釈でコスパ服を購入してしまうこと。
そもそもコスパのいい服とは一体どういうものを指すのか?
コスパのいい服とは?
相対評価
まず、コスパは相対評価であり絶対的な評価ではないということです。例えばユニクロのメリノウールタートルネック。金額以上に高見えし、使いやすく、着用頻度が高い。このニットがコスパが良いと感じれるのは、同程度のクオリティだが2倍の価格を付けているメーカーのニットを知っているから。もしこの世にユニクロしかなかったらコスパのいいニットではないです。絶対的な損得はなく、常に何かの比較して損か得かということです。
着用コストを無理やり下げても意味ない
10万円のジャケット・・・高いなと。でもこれを5年着ると考える。最初に現金10万円が出ていくが、それはその年のためだけに払うお金ではなく5年使うことを目的としているので、「自分会計」上、キャッシュアウトしない20,000円を着用コストとして毎年使っているということになる。
5年着れるという見込みのもと10万円を払っているので、もし3年しか着なかった場合、その買い物はその人にとってはコスパがよくなかったことになる。逆に6年目も引き続き着用しているのであれば着用コストが下がり、期待以上のコスパだったと言えます。
ポイントは、6年目の服に価値があるかどうかということです。その服が物理的にもデザイン的にも劣化して、服の形をしているだけの布になっていたとしたら、その服には価値はないということです。
というのも着用回数を積み上げることで着用コストを事後的かつ絶対的に下げる方法みたいなものがあります。支払った値段を着用回数で割り出した着用コストが低いからコスパが良いと訴えるわけですが、これはコスパではありません。言うなればこれは原液を薄めまくったカルピスを飲んで、カルピスの味はもはやないに等しいがカルピスを飲んでいることにするという詭弁で、もはや何のためにカルピス飲んでるのか分からなくなります。
支払った金額以上の対価を求めたい気持ちは分かるのですが、その服が本来持つパフォーマンスを無理やり変えてしまうと、カルピスの原液同様に、何のために着用しているのか分からず、当然着る楽しみなんてあるはずもなく、ただ着用コストという数字に囚われているだけの状態に陥ります。
価値があるうちは着用コストを考えるのは意味がありますが、価値がなくなっているのにもかかわらず無理やり着用コスト下げにいくのは、逆に無駄な時間を使っているということでコスパが悪いです。
コスパのいい服とは?
コスパがいい服とは、高見えするデザイン、使い勝手が良い、長持ちする、主にこの3つで、それぞれ見た目、使いやすさ、耐久性の項目です。良い生地を使っていたり、着回ししやすかったり、毛玉が出来にくかったり。
これらが揃うほど、支払った金額以上の効能を感じ、お買い得だなと感じられます。
でも自分ではコスパがいいとか判断つかない人も当然います。そのために、コスパ品を教えてくれるブロガーさんがいるわけですが、ここでも注意点があります。
コスパのいい服ときくと消費者は価格の安い服をイメージするので、発信側もその需要に応じた服をすすめがちです。ユニクロや無印はその代表。これらのポジショニングは低価格かつ高品質であるため、まさにコスパ服なわけです。ユニクロは近年低価格から適正価格へとポジションシフトしていっているので、以前ほどのコスパ感はありませんがね。
ですがコスパの良い服とは価格が絶対的に安い服ではなく、相対的に安い服のことで、価値に対して割安だと感じられる服。1万円だろうが10万円だろうが割安感があればそれはコスパのいい服である。チープではなくリーズナブルということですね。
にもかかわらず、価格が安い服ばかりを列挙する「コスパがいいコンテンツ」が多いということは、発信側も消費者もコスパが価格ありきというスタンスでいるということです。本来の意味に則ってコスパが良いい高額な商品を紹介してもターゲットに刺さらないから載せません。じゃあタイトルをコスパよしではなく「安い服紹介」にしたほうが正直でいいじゃないかと思いますが、これでは反応が出ないんですね。それほど「コスパ」という言葉の訴求力は強いということで、ならばコスパの言葉を使って惹きつけようというのは自然です。それもこれもコスパに反応する消費者がとても多いから。
それでも情報は鵜呑みにせず、自分の頭で一回考えるべきです。
例えば「原価率が良い服はコスパが良い」とかです。これを言う人は割合多いのですが必ずしもそうではありません。
この記事でも買いたように、各社条件が異なり、かつ複雑なサプライチェーン下においては、原価率の数値だけでコスパが良いかどうかなんて判断できません。にも関わらず原価率の数値を企業努力の象徴であるかのように称しているのを見ていると、他にアピールすべき強みがないってことなのかなと思ってしまうんですね。昔、企業求人で自社の強みは仲のいいところですと和気藹々とした写真が掲載されているところが多かったですが、それを打ち出さないといけないくらい他にアピールポイントがないんだなーとしみじみ感じたのを思い出します。
原価率の高さが価値あるものがどうか見分けるポイントとしては、圧倒的な強みが他にあって、ちなみにぐらいの程度で原価率の話を載せているものは信用できるのではないかと思います。
それでも原価率の高さをコスパの基準にするのはオススメしません。何故かというと本当に身を削って原価率を高めている場合、コスパ的買い物をするということは自分が得をしようとするということで、これは逆に相手に損をさせようとするのと同義であるからです。コスパ重視で原価率の高い寿司ばかり食べるのと同じで、そういうスタンスは個人的にあまり好きではないですね。なので原価率はあくまでもサブ的要因として本当にその服の価値を理解して買うと、企業も報われたと喜ぶのではないでしょうか。詭弁かもしれませんが。
まとめ
- コスパは価値が事前にわかっているものに対して有効。
- コスパのいい服を求めることは損得を重視して失敗リスクの下振れを小さくするスタンス。コスパ服を求めないのは魅力を重視して感動の上振れリスクを大きくするスタンス。守りか攻めか。
- コスパ服を求める行為を揶揄する風潮があるが、ポジショントークに過ぎないので無視でOK。
- 着用コストを無理やり下げても全く意味がない。仮にその数値が低くても着用価値が既にないのであれば、その服を着ている時間は意味がないものとなり、結果コスパが悪いことになる。
- コスパが良い服とは、高見えするデザイン、使い勝手が良い、長持ちする服。
- コスパの理由の真偽については自分の目で見極める。原価率系などの勘違いコスパ服に注意。
コスパという言葉の力は強すぎるかも。