こんにちは、遊佐です。
「服は一体何年着られるのか?」
よくあるこの質問の意図には、単に服の耐久年数を知りたいというよりも、長く着たいという気持ちがあります。
一生物、ずっと着られる、育てていく、経年変化といった一見するとポジティブな言葉とも相まって、長く着たいという気持ちは大きくなっていく。
なればこそ気になってくるのが、なぜ長く着たいのか?ということです。そりゃ着れるにこしたことないだろ、大事にするだろという話なのですが、「長く着たい」には、なんとかして長く着ようとしたり、もったいなくて着れなかったりと、行き過ぎた「大事にする」があるため、いろいろな側面から見ていく必要があります。
今回のブログでは、服は一体何年着られるのか、何故長く着たいのかについて話していきます。
- 服は何年着られるのか?数年前の服はダサい?
- 5年前、10年前の服は着てはいけないのか?
- 気に入った服、長く着たい
- 失いたくない、もったいなくて着れない
【なぜ長く着たい?】服は何年着れるのか?5年前、10年前の服を着てはいけない理由はあるのか?

服は何年着れるのか?
長く着たいの「長く」がばっくりしているので、10年に設定して考えてみます。
で結論、10年保ちます。ポリウレタンのような経年劣化する繊維を使った服は当然除きます。着用頻度も当然多くないことも前提。3年だろうが、5年だろうが毎日使えば当然劣化スピードは早まります。後は管理環境が悪ければカビや虫食い、変色が当然発生しますので、そういった条件をクリアした耐久年数で言えば、10年は余裕でもちます。
そもそも10年保つのは考えたら当たり前の話で、そうでないと古着の商売が成り立ちません。10年どころか半世紀前の洋服をヴィンテージとしてありがたがる風潮ですから、そこからしたら10年なんて何言ってんの?という話でもあるのです。
ちなみに僕の手持ちの服で10年前のものがあります。中には20年前のものもあります。デニム、ウールパンツ、スーツ、コートなど。状態も悪くなく、セカンドハンドとして自信を持って提供できるような比較的綺麗な部類に入ります。
ただし、これらは現在全く着ていません。
とにもかくにもここが重要なところで、10年以上保っているけど着てないんですよね。何故かというと物理的な劣化が起きていなくても、デザイン劣化が起きているからです。デザイン劣化として最たるものはサイズ感ですね。他にもパンツの丈感、ジャケットの着丈やラペル幅といった箇所も時代を反映して劣化しやすい
「使える」と「価値」を切り分ける
デザインの劣化という表現は聞き馴染みがないかもしれませんが、企業の会計処理では商品自体に破損といった物理的劣化はないものの、トレンドの過ぎた服は需要が下がって売れなくなりますので、陳腐化した服は商品価値が下がったとして帳簿価額を切り下げる必要があります。これは耐用年数が物理的か経済的という話で、つまりその服を着ることができても、それを着て効果を生み出せるのかという資産としての価値は下がっているんですね。
とかく商品の寿命という話になると物理を考えがちですが、デザインの寿命が先に尽きることが多く、そうなるといくら服自体が保っていてもその服の価値は下がっていきます。逆にこの縛りが適用されないのがいわゆる高級ヴィンテージ服で、時間が経つと価値が下がるどころが上がっていきます。
いずれにしても、「使える」と「価値」は全く別の話ということです。
10年着てはいけない理由はあるか?
風水やスピリチュアルな理由で10年ものなんて運気が下がって着てはいけないと言われたらそれまでで、もうその人の好きにするしかないのですが、そういう特殊な事情以外で、10年前の服を着てはいけない理由があるとすれば、デザイン劣化によって見た目の印象を損なっているからであり、もっと言えば服の資産価値が毎年目減りして大きく下がっているからです。数年前の服を着ているとダサいと言われたりするのはトレンドアウトしているからとよく言われますが、なんでトレンドアウトしていたらダメなのかの理由が説明されていないことが多いので、価値が下がっているからということを知っておきましょう。
ただしこれは世の中に対してどうかという相対的なもので、商品自体の絶対価値が変わったわけではありません。つまり服が旬を過ぎて世の中での経済的価値が下がっていたとしても、自分の中で評価が変わらないのであれば、それはデザイン劣化ではないので、3年だろうが5年だろうが10年だろうが、どれだけ旬を過ぎていようが自信を持って着ればいいんです。
ところが人はその評価を変えます。というより変わってしまう。
さきほど僕が10年以上前の服を着ていない理由にデザイン劣化を挙げましたが、もう一つ理由があって、それは僕の好みが変わったからです。
以前に2000年代、2010年代のファッションについて振り返った記事を書きました。
10年単位、あるいは5年単位で自分自分の装いが大なり小なり変化しています。
変わりゆく
服が物理的にも経済的にも劣化していなくても、肝心の本人側になんらかの変化が起きて着なくてなってしまうことが圧倒的に多い。にもかかわらず本人は長く着たいと言い出す始末で、本当にわがままなんです。服からしてみたら末長くよろしくと言われても、いやいやあんたいつもそう言うけど結局長くもたないでしょと、たまったもんじゃないですよ笑。
では具体的にどういう変化が起きるのか?
飽き
テンションチャートがあるとしたら、手に入れて間もない頃はテンションマックスなわけで、「この気に入った服を長く着たい!」と思っているんですよね。ですが時間の経過とともにテンションは右肩下がりになっていき、この一丁羅は徐々に普段着へと格下げされていきます。
なので飽きを防ぐにはテンションを最初に上げすぎないことです。つまりめちゃくちゃ気に入った服ではなく、まあまあかなという服を買うこと。テンションチャートでいえば、最初から低めのところからスタートして下降線を緩やかにします。
個人的には性分に全く合っていないスタイルなので絶対にやりませんが、飽き性で困っている人は参考になさってみてください。
ただ飽きを防げたとて、果たしてそれでいいのか?ということです。そこまで好きではないものを選んで楽しいのか。何のために服を買っているのか。目的がどうしたら飽きを防ぐかに変わっている。
そう考えると、今着たい物を着る方が幸せかなと。
好み
3年経てば、5年経てば、10年経てば好みは変わります。そういうものです。
好みが変わると今の気持ちを10年先へ持ち越せません。もう君のことを昔のように思えなくなってしまったカップルのようですね。
好みの変化度はいつ起点かによって変わってきます。例えば20歳からの10年と40歳からの10年では変化度はまるで違うはずです。20歳はまだ何も知らないため、今の好みは一過性のもの。そもそも20歳で長く着たいなんて思わないでしょう。そして40歳ともなればそれまでの歩み方にもよるが、ある程度スタイルが構築されており、50歳になったときに好みの変化は起こりにくい。
しかし変化は小さくても起こるもの。自分はスタイルがあると自負している人も例外ではなくそういう人ほど変わっています。僕もここ2年くらいで好みが変わりました。大きなジャンルでの変化はないですが、着方やアイテムの選び方が少し変わりました。ファッション業界の人を見ていてもそう思います。5年前、3年前、2年前で着こなしやアイテム選びが変化しています。
では10年先を見据えた選び方をすればどうだろうか?理論上は好みの変化が起こらないことになりますが、それだとさっきの話と同じで今それほど欲しくないものを買うことになるので、やはり幸せになれない。
容姿
30歳のときに着ている服を40歳になった時に着たとき、見え方は当然違うわけで、40代の自分は若作りに見られるかもしれない。
当たり前過ぎる話なのですが、にも関わらず10年着たいと思うのは何故なのでしょうか?これは正直何も考えていないだけだと思います。そもそも買い物の際にそんなことわざわざ考えないですし、仮に考えたとして10年経ったときの自分の容姿に今着ている服を掛けあわせる想像をすればいいのですが、そんな想像力は実際ありません。
飽きや好み、容姿の変化の影響を受けないために、中庸の服を選べばいいと思うかもしれませんが、果たしてそれが中庸な服を選ぶ理由でいいのでしょうか?。それに中庸はその定義が曖昧で、中庸だと思っていても側からみるとデザイン劣化していることも少なくない。中庸が好きだと言っても、その好みは変わるかもしれない。中庸という言葉は精神安定剤にされがちですが、けっこう不安定な世界です。
長く着たい理由は?
服を長く着たいと願っても人は変わりゆくため、その願いは薄れていって結局着ない。ならばと変化を織り込んだ選び方をしてもそれ自体が目的になっており、服を買う、そして着る楽しさを味わえていない。
味わうのが目的か、保たせるのが目的かの違いはあまりにも大きい。
愛着か執着か
僕は10年後も今着ている服を着ていたいとは思わないんですよ。もちろん長く着たいとは思うのですが、10年先もなんとかして着てやろうなんて思わないんですね。それよりも先程から話しているように、今の気持ちを大切にしたい、おいしく味わいたい。それでもし10年後に残っていて活用できていたら、きっとその服には愛着が湧いているはずで、その時に10年着れたなと振り返ります。
一方でもったいなくて着れなかったり、価値が目減りしているのに使い続けたりするということは、美味しい服を味わえる回数を自ら減らしにいっている、あるいは不味いのに無理やり食べ続けているということです。これは強烈な依存体質であり、つまりは服に執着しているということになります。失うことを恐れるあまり、長く着たいが目的になる。そうすると劣化を気にして着なくなる。もったいないと感じる。そして命の期限はとうに過ぎているのに手ばせなくなる。
これでは何のために買ったのかという話で、もし所有欲を満たしているのだとしたらそれは良いことだと思うんですね。僕も所有欲は大事にしていますし、買い物の一つの醍醐味になっています。ですが所有欲は行き過ぎると執着に行き着くので、やはり注意が必要です。
大切にするのと使わないはまるで違います。
対策は一応ある
もし劣化を気にして着用頻度が落ちるのであれば、新品じゃなくセカンド品を買うといいです。最初からある程度使用感があれば、劣化を気にしなくなるはずです。テンションチャートと同じで、最初の状態数値を低くすることで、以降の下降線が緩やかになります。
また、自身にとって高額なもの、気合の入った買い物をしないようにするのも同じ効果があります。
ですがこれはいわば対処療法なので、根本解決には無常観を持つ必要かあります。
諸行無常
諸行無常というお釈迦様の言葉がありますね。この世のものは常に変化し続けており、変わらないものはない。
とても合理的な言葉で、今回の話はこの言葉に尽きると思います。長く着たい、汚したくない、綺麗なまま保ちたいと思っても、全てはいつか変わりゆくので、そんなことを考えても仕方がないんです。
とはいえ気持ちはよくわかるし、大切なもの、人にはずっとそばにいてほしいと思うのは当然なので、その気持ちは自然なものとして受け入れるべきで、それをいけないことなんだと否定しては絶対にいけない。変化をおそれる気持ちもまた良しとして、あるがままに受けいれる。
この「あるがままに」というスタンスをもつと、とても楽になれると思います。変化をあるがままに受け入れ、変化をおそれる気持ちも受け入れて、うまく付き合っていきます。
全てはあるがまま。
まとめ
- 服は10年着れるが、その服は10年の間でデザイン劣化が進んでおり、当初の価値を大きく落としているかもしれない。「使える」と「価値」は別の話。
- 服の耐用年数がどれだけだろうと、使う人に飽きや好み、容姿の変化が起きて使わなくなる。
- 長く着たいと思う理由には執着心が潜む。
- 服への依存度が高過ぎると、もったいなくて着れなくなる。価値が落ちているのに着続けようとする。
- 全てはあるがままに。変化も執着も受け入れる。
服が好きなのに、その服にとらわれる生活なんて嫌だわ。