こんにちは、遊佐です。
「脱おじさん」というタイトルの指南コンテンツをよく見かけると思います。
ブログ記事しかり、動画でばってんサインで、やってはいけないサムネのあれです。
視聴者、読者の反応を見ていると、勉強になったというものもあれば、「おじさんなんだから好きにさせてくれよ、ほっといてくれ」と思う人もけっこう多い。
ネガコメントの人たちはコンテンツを見なければいい話ではあるのですが、僕は割と彼らの意見に賛成なんですね。
そこで今回のブログでは、「脱おじさん」をする必要はないという話をしていきます。
- 脱おじさんてそもそも何?
- おじさんじゃだめなのか?
- 最近ファッションコンテンツが窮屈に感じる
【脱オジ不要】おじさんのファッションはダサいくらいでいい。最近ちょっと窮屈過ぎないか?

「脱おじさん」とは
ファッションコンテンツタイトルの常連組である、「脱おじさん」。
誰がいつ名付けたのかは不明で、どういう意味なのかもはっきりと定義されていません。
ただ僕が思うに、おそらくこういうことです。
ダサい格好をしたおじさんは、イケてるおじさん(イケオジ)までいかなくていいから、及第点を目指そうというものでしょう。70点でいいとかよく聞くと思いますが、あれですね。
おじさんなのに、おじさんを脱っするという、正直意味不明な名前だと思うのですが、内容はそんなかんじの理解でいいかと思います。
コンテンツに関して
では実際どんな内容のものが多いのか。
脱オジ!、やってはいけない〜選、時代遅れ、おじさん見えという煽りタイトルの元、before,afterを挟みながら、発信者が描く理想像へ視聴者を導いていく。
before例として、チェックシャツ、パーカ、ベージュチノパンのコンボがテンプレのごとく登場します。髪はぼさぼさ、覇気のない顔、姿勢の悪さなど、小芝居も光ります。
after例は発信者の好みによってばらばらです。クラシック、イタカジ、ドメブラ系など。このあたりは発信者の年齢が反映されているように思います。50代はクラシック、イタカジ。30代40代の発信者はドメブラ系の着こなしを紹介しがち。
多いのはやはりドメブラ系。中でも、ブラックパンツや水色シャツ、ストライプシャツ推しの、いわゆるクリーン系ドメブラのような格好ですね。
正直ツッコミどころが多々あります。
まずはテンプレBeforeが現実味に欠けること。2,000年代から2010年代前半頃までは確かに見かけたが、ぶっちゃけ現代では見かけることないです。
そして何故かBeforeだけ髪がぼさぼさで姿勢も悪い件。これだけでも格好悪く見えるので、Afterと前提条件は一緒にすべきでしょ笑
そしてそして、Beforeの方が良いかもしれないという、まさかの件。
どう感じる?
発信されたコンテンツに対して、なるほどと思う人たちがいる一方で、そうでもないだろと思う人たちもいます。さらには、おじさんはおじさんだからほっといてくれという反応も少なくありません。
発信者は別に誰かを不快にさせるつもりはなく、あくまでもターゲット層に向けてコンテンツを作っているのだが、SNSでは良くも悪くも全ての層に情報が行き届いてしまいます。
一つ言えるのは、さも事実かのように話していることでもそれは一意見に過ぎないということです。何故かというとファッションは化学の実験みたいに、これが絶対に正しいという証明ができる分野ではないからです。
着こなしがおじさんくさい?いまどき誰も着ていない?時代遅れ?
全て意見です。
なのでどれだけ影響力を持っている人が言っていることでも、それは事実ではなく一意見なんだと、僕たちはちょっと引いた目で見るぐらいのスタンスでいるほうがいいと思います。
さらっと聞いていると、ついそうなんだーと納得してしまいがちですが、よくよく考えると根拠が不確かな内容のものも少なくないので、過度に信じるのもいけませんし、過度に反応してしまう必要もない。
脱おじさん不要
本題、そして結論。
脱おじさんは不要です。
ポイントは以下4つ。
- ダサくていい。
- 基準の適用範囲
- 自分のものさし
- 趣味
ダサくていい
服装がぶっちゃけダサいおじさんがいるとして、そのおじさんを揶揄する人がいるとする。実際、ファッション指南コンテンツを作る人は街中でダサいおじさんの格好をチェックして、情報サンプルにしている。
でもこのおじさんは話が面白かったり、お金持ちだったりする。そしてそのおじさんの隣にわかりやすい美女がいて、ぱっと見不釣り合いのように見えるカップルがいても、女性は男性にベタ惚れのパターンがある。男性に何か魅力があるから。
皆さんに聞きたいのですが、街中でダサいおじさんがいたとして、その人を見て、ダサいなーととりわけ意識したりとか、改善したらいいのにとか思います?
僕はもちろん、周りでもこんなふうに感じる人はいません。話題にすら上がらない。
むしろダサいおじさんの方が優秀な人が多い印象があって、服装に無頓着な姿勢が逆にかっこよく見えたりするんですよね。彼らにはファッションよりも他にいくらでも大事なことがあって、服装でいちいちご指摘をする人たちよりも視座がはるかに高いと言いますか、服装がダサいかどうかの世界で生きていないんですよ。そんなことは瑣末なことである世界で生きており、そんなレベルの人に、ダサいだの、脱おじさんしましょうだのとご指摘しているところを見ていると、逆に痛々しさを感じてしまいます。
若い頃とおじさんの違いって自分のものさしを持っているかどうかだと思うんですね。だとすると、脱オジ行為なんて言われてやる必要がなくて、むしろおじさんでいいんですよ。
そしてこのおじさんは、見た目がダサいかもしれないし、ダサくないかもしれないが、それは単に横の差であって、縦の差ではないということです。
おじさんは与えられたルールに則って好かれにいってはいけない。それこそがダサい。
好きにさせるのがおじさん。
基準の適用範囲
先ほど「脱おじさん」は及第点を目指すと話しましたが、発信者の言う及第点は、ファッションに興味がある、あるいは趣味にしている人たちの中での基準に則っているべきです。
にもかかわらず、街中で何の気なしにいるおじさんを見つけて、ダサいだの、脱おじさんしたほうがいいだのなんて思うことが、余計なお世話というかお門違いです。
ファッション指南コンテンツは、あくまでもファッションに興味を持っている、あるいはおしゃれをしたい人たちの中だけの基準なので、その基準を範囲の外にまで広げて一般性をもたせようとするのはおかしいと思います。
風呂入って綺麗にしていれば及第点。それ以上はファッションの範疇。
唯一一般性を持たせるべきところがあるとすれば、周りへの配慮。
例えば隣を歩く女性を気遣ってあげようということですね。いくら服装に無頓着でも女性に恥ずかしい思いをさせてはいけないとか。逆にどれだけファッション好きで自分のスタイルだからとはいえ、カジュアルな格好をしている彼女の隣で決め決めの格好をして彼女を困らせるのもナンセンスなわけです。
自分のものさし
70点でいいとか、普通でいいとかなどという表現もここ数年で随分と聞くようになってきましたが、普及してきたのもあって陳腐化してきたなと感じます。
70点とか普通という基準が示す意味は、奇を衒わず自然体でいるということで、自然体でいること自体には僕も同感です。問題は70点とか普通という基準が既に誰かの価値観で作られた作為的なものであり、実は全く自然ではないんですよね。
そしてその作為的な70点でいいとか、作為的な普通でいいという基準に踊らされて、普通でいいのよと分かったような気分でいるのは、なんだか虚しいし、格好悪い気がします。
普通がいい、初心者には70点でいいと言う。
僕も昔は何の気なしにそう思っていた時がありましたが、その感覚がいつのまにか作られていた枠組みにはめられいた故のものだと思うと、ちょっと気持ち悪くなりましたね。
若いうちはいいけど、40代、50代になったら、自分の物差しで生きたいものです。
普通じゃなくていい。むしろ普通じゃなほうがいいかもしれない。70点もいらない。むしろ0でいい。マイナスでなければいい。いや、マイナスでもダサいほうが個性があっていいかもしれない。とか。
デニムもおじさんが穿いたらダメアイテムとして挙げられることがありますが、それも他人のものさしで優等生な人生を歩んでいると、なるほどと思ってしまうかもしれません。
趣味の世界
おじさんはダサいくらいがカッコいいと言いましたが、だからといって装う必要がないと言ってるのではもちろんありません。
ファッションは趣味性のある楽しいもの。付随する買い物だって楽しい。
同じ趣味を持つ同士で話せたらもっと楽しい。そういったコミュニティがあるから、僕はずっとファッションを好きでいられている。
なので先ほども言いましたように、脱おじさんしましょうなどというものは、あくまでもこの狭い趣味の範囲内でおさめておくべきもので、決して一般化すべきではないし、ごたいそうに重要な意味を持たせるものでは決してない。
ロジカル過ぎる昨今
脱おじさんで象徴されるように、いつのまにかロジカルに語られることが増えてきたファッションコンテンツ。
感性とかセンスで語られることが多かったファッションをロジックで切っていくスタンスは、最初こそ価値があって差別化になっていましたが、今では同じような人たちが増えて発信するあまり、似たようなコンテンツがうじゃうじゃそこかしこに転がっているんですよね。とってつけたように言語化とかいうワードも飛び出し、これが正解とかマニュアルといったパッケージみたいなものがたくさん。
こうなってくるともはや差別化なんて図れず、であればとコスパとタイパで差別化しようとし、一気に陳腐化します。そしてラットレースに突入。
・・・もういいでしょ。
着てはいけないとか、マストバイとか、もういいでしょ。
着てはいけないものはないし、マストで買うものものもない。
ちなみに、ファッションは自由だ!なんてしょぼい話をしているんじゃないですよ。
この世に似合わないものなんてないということです。
おそらく今後こういった指南コンテンツは時代遅れで下火になっていくと思います。たぶん日本ぐらいじゃないでしょうか、こんなことやってんの。
そもそもロジカルであろうとするのは、本来はロジックが苦手というコンプレックスの裏返しでもあると思いますので、どこかでファッションにはやはり感性が大事だと思っているのではないでしょうか。
ロジックは大事で必要なものなのですが、もう少し抑え目にして、かわりに感性を働かせてみてはどうだろう。その方が差別化になるはずです。
それに周りに一人はいるでしょうが、ロジック人間、理屈っぽい人はめんどくさいですよね。もう少し人間味、いうなればダサさがあると魅力的なのになと思うことがあります。
まとめ
- 脱おじさんとはイケオジとはいかなくても及第点のおじさんを目指すもの
- おじさんは、ダサいくらいがちょうどいい。むしろ中身がいけてないとダサい。
- 脱おじさんの話はファッション好き界隈でのみ為されるべきで、一般性を持たせるべきではない。そんな重要な話でもない。
- 70点でいい、普通でいいという感覚をもし持っていたら、一旦捨て去った方がいい。
- 装う楽しさを持った人同士で、野暮なことは言わずに楽しく盛り上がりたい。
僕も立派なおじさん。常に洋服への向き合い方を考えさせられます。やはり思うのはロジックで組み立てられた姿よりも、直感を使ってありのままの姿でいるほうが魅力的だということ。何故魅力的なのかというと、ロジックで作り上げられた人たちが多くなり過ぎているからです。めちゃ単純で当たり前の話。