ゆさん歩

人生を楽しむツール「ファッション」を綴ります

【抜け感の陳腐化】ウンチク偏重のファッションコンテンツが安っぽいという話。

こんにちは、遊佐です。

抜け感という言葉が広く、そして積極的に使われ始めたのはここ2年くらいでしょうか。ちょうど、ファッションコンテンツがSNSで増え始めた頃で、コピーされるかのように広がっていき、日常用語のように使われ始めました。

ただ最近、抜け感という言葉がすごく安っぽく感じようになってきたんですよね。ファッションコンテンツのいたるところで抜け感という言葉が氾濫しており、またかと。

抜け感以外に、こなれ感や空気感、余白など、ファッションコンテンツに多く登場するこれらの言葉も同様に安っぽさを感じています。さらに、「頑張りすぎないファッション」という言い回しにもうんざりすることが増えてきた。そこでふと思ったのが、抜け感や頑張らないファッションというのは今現在、抜くべき力がそもそも備わっておらず、全力で頑張ることができない者たちの都合の良い解釈、戯言なのではないかということ。

今回のブログでは、抜け感という言葉の氾濫を皮切りに、日本のファッションコンテンツの最近の傾向に感じていることを話していきます。

 

【抜け感の陳腐化】ウンチク偏重のファッションコンテンツが安っぽいという話

ファッション 抜け感

「抜け感」の陳腐化

抽象表現

ファッションコンテンツに付き物になっている抜け感やこなれ感、空気を纏う、余白を持たすなどという言葉や表現。これらに共通しているのが抽象的であるということ。

www.yusanpo.com

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例えばこれらの言葉の意味を具体的に説明してくれと突然言われて、きちんと答えられる人は少ないでしょう。何故かというと、こういう抽象表現は定義が曖昧だからです。にも関わらずよく使われるのは、使い勝手がいいからなんですよね。それっぽく聞こえて、幅広い文脈をカバーでき、反論を起こしにくい。ですが曖昧故に聞き手は分かったようで分かっておらず、こういうことなのかなと考えることを半ば強要される形になる。本来であれば聞き手のために具体表現が必要なところを、発信者がその言葉を知らず、あるいは探す努力をせず、あるいはそれっぽく言おうとして、何に対しても使えてしまう抽象表現に逃げて聞き手に解釈を押し付けている。それっぽい言葉が使われるコンテンツは当然それっぽい内容になっており、中身が薄く何も刺さらない。このような自己満で無責任なスタンスによる抜け感が多いなと感じます。独り言ならいいのですが、「これがおしゃれだ」、「これが正解」という、自身だけ気持ちよくなってそうな解説が押し付けがましく聞くに堪えないわけです。

ロジカルファッション

ファッションをロジカルに解説したがる人が随分増えましたが、ここでも抽象表現が散見されます。ファッションの感覚的なところを言語化して体系的に伝えることがロジカルファッションの肝であり、話の解像度を高めるために具体的な言葉や表現が必要になってくるわけですが、肝心の箇所が抜け感に始まるまさかの抽象的表現がされており、結局感覚的やんけというツッコミが入りそうなコントのような内容が少なくありません。これは修辞に夢中になっている故で、聞き手に寄り添っておらず、自分に陶酔している状態です。レトリックに酔い、文脈に即した個別具体的な言葉を探す手間を惜しみ、聞き手にその箇所を補完させるという行為は、やはり自己満かつ無責任であり、アウトプットされるものは空虚な内容になっています。

自分軸が必要

抽象表現を使う際は自分なりの解釈を持っておいた方がいいと思います。じゃないと借りてきた言葉で聞いたふうな内容に終始する一般論になってしまいます。僕も抽象表現を使うことはもちろんありますが、必ず自分なりの考えや経験を交えることで具体性を持たせるようにしています。

もしくは抽象表現を使わないというのも良いと思います。何にでも使える言葉よりも、文脈に最適な言葉を選び抜く。その場合は当然、個人的かつ限定的な内容にはなるのですが、もしファッションをわかりやすく解説したいのであれば、一般論に逃げずに一見バカっぽい言葉でもむしろその方が具体的で分かりやすく、聞き手に優しいはずです。それっぽい漠然とした言葉よりも、下手でも自分軸がクロスした言葉の方が価値があります。

「頑張りすぎない」の陳腐化

ちょっと遅い

抜け感だけでなく「頑張らない」というスタイルも、最近価値が落ちたなと感じています。「普通でいい」「70点でいい」も同様です。こういったスタイルの提案は2010年代後半頃に出始めました。細身のイタリアンファッションでばちばちにキメるスタイルに対して力を抜いて頑張らないスタイルの提案が価値を持ったわけですが、リラックスやエフォートレスなスタイルが根付いた今それをやるのはもう遅くて、抜け感同様に価値が薄まっています。なんならそういった過去のコンテンツがネットに溜まってきているので、それらを拾い集めてそのまま自分の知識として話しているような雰囲気さえある。そのようなコンテンツの内容はやはり断片的で重層性がないため、知識や経験の浅さが見え透いてしまう。

頑張れないコンプレックス

「頑張らなくていい」

めちゃくちゃ努力して頑張って、でも時に人と比べて落ち込むこともあり、そんなときに頑張らなくていいと、自分を応援するとてもいいスタンスです。ですが中には頑張らないスタイルの裏に「頑張れない」コンプを潜ませている人がいます。頑張れない自分を変えられないから、価値基準を逆転させて頑張らないことがカッコいいのだと自分を無理やり納得させている。負ける自分が怖いから全力を出さないようにしている。本気に向き合って失敗するのが怖い。上手くやろうとして、上手く喋ろうとして、表層だけをなぞり内容が一切刺さらない。そういう上部だけの格好つけマインドが、頑張りすぎないスタイルに滲み出る。

こういった頑張れない自分と向き合えていない心理が浮き彫りになった「頑張らないスタイル」が多いと思います。こういう人の解説というのは、リスクのある当事者には決してなろうとせず、責任を持たなくていい外野で分かったつもりになっている評論家気取りのコメントのように実効性がないため何の価値もないんですね。そしてかなりの高い確率でプライドが高く、何か指摘されるとムキになって言い返そうとする。本当にめちゃくちゃ分かりやすいです。

「70点でいい」に逃げるな

70点でいいとか、普通でいいとかなどという表現はここ数年で随分と聞くようになってきましたが、普及してきたのもあってやはり陳腐化してきたなと感じます。

70点とか普通という基準が示す意味は、奇を衒わず自然体でいるということで、自然体でいること自体には僕も同感です。しかし70点とか普通という基準が既に誰かの価値観で作られた作為的なものなので、実は全く自然ではないんですよね。そしてその作為的な「70点でいい」とか、作為的な「普通でいい」という基準に踊らされて、普通でいいのよと分かったような気分でいるのは、なんだか虚しいし、格好悪い気がします。

僕にも「普通がいい」、「70点くらいがいい」と何の気なしに思っていた時がありましたが、その感覚が作為的な枠組みによって生まれていたのだと思うと、ちょっと気持ち悪くなりました。若い時はいいけど、40代、50代になったら、優等生を卒業して自分の物差しを持って生きていきたいものです。

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浅い一般論を持ち出し、上辺だけをなぞって分かった気になっている格好つけマインドではいたくない。だから普通じゃなくていい、むしろ普通じゃなほうがいい。70点もいらない、むしろ0でいい。マイナスでなければいい。いや、マイナスでもダサいほうが個性があっていいかもしれない。

ウンチク偏重のファッション

蛇足

ファッションの抜け感、頑張らない装いの陳腐化がエスカレートし、「ファッションのウンチク偏重」が目立ようになりました。着こなし一つに、ここはこうで、こういう意図で組み合わせ、頑張らないくらいがちょうどよくて、でも実際はそうなっていない人が多くて、こういうところで差がついて・・・と、少々喋り過ぎで蛇足感があるということです。語れば語るほどコンテンツ価値を下げていき、たいそうなことを言っている割には、実際の着こなしが・・・というやつです。本来の蘊蓄には積み上げられてきた知識の深さがあるものですが、ウンチクは一方的で押し付けがましく、積み上げられていない知識や経験で語ってしまうので、これまた安っぽさが生まれてしまう。

本当に良い着こなし、参考になる着こなしであれば画像だけで十分で、言葉などは不要なはずです。ただそれはさすがに極端なので、実際はテキストで補足するのですが、要するに言葉を簡単に使いすぎることが問題なわけです。

言葉を簡単に使いすぎる

本来はもっと高いレベルの状態を指す言葉なのに、日常的に使われ過ぎて、言葉の価値が下がっていく。例えばイケメンとかもそうです。今や言葉と実態が乖離しており、誰に対しても使われる挨拶のような言葉になっています。イケメンはカタカナ言葉ということで、そもそも深みがあまりないという見方もできますが、では「造詣が深い」という言葉はどうでしょうか。本来この言葉は専門性や知識、見識を称賛する高次元の他者評価なのですが、今はお世辞にも深いとは言えない知識の持ち主に対しても安易に使われるようになってしまっています。もっとひどいと自分自身に対して使ってしまっている人がいたり、「造詣が深い」ではなく「造詣がある」と言っていたりと、まず国語として不自然であり、そしてなによりも高次元な評価を自分にしていることがめちゃくちゃ恥ずかしいんですよね。間違っても自分自身に使う言葉ではなく、もし使っているとなるとその人は傲慢であり勘違いも甚だしいんです。同様に「造詣が深くない」という表現も不自然であり、「詳しくない」とか「専門ではない」という言葉で事足りるのですが、なぜか自分達の話題に対して遥かに高い次元にある言葉を使いたがる人がいます。〜に関して造詣が深くないと言うということは、他のとある領域に関しては造形が深いと思っているともとれ、やはり勘違いをしている。そもそも造詣という高次の言葉が使われるシーンというのは本来めったにないはずなんです。

こんなことをしているうちに言葉の価値が低下していき、安っぽくなっていく。

まとめ

ここがポイント
  • 抜け感やこなれ感といった言葉の価値が低下している背景には、抽象表現への安易な逃げによる言葉の氾濫が原因。それっぽい言葉でまとめた内容は安っぽくあなり、具体性に欠けていることで聞き手に負担をかける。
  • ファッションに抽象表現が絡むと話が浮つくため、自身の経験や考えを交えて具体性を持たせることが大事。
  • 頑張らないファッションの価値が低下している裏には頑張れないコンプレックスが潜んでいる。
  • 言葉の安易な使用がファッションのウンチク偏重を生んでしまった。

安いのはいい、でも安っぽいのは格好悪い

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